友達はいない以降の人生を

正月休みにエンディングノートを更新した。

葬儀について少々書き直した。昨年叔母の葬儀に参列して思うところもあった。小規模の家族葬でと前々から書いていたが、直葬も可、身内のみでと書いた。死んだことは知らせてほしい人々の欄は名前と住所だけにして、電話番号は書かなかった。葬式に来なくていい、という事。

友達はいる、と思っていたが。現在は「いた」が正確な表現で、最近はこの先は友達もなくひとりで過ごしていくのかーと思うようになった。

昨夏。数少ない友達に久々に会ったのだった。それからしばしば考えていたのだが、フェイドアウト的にお別れするのがよいだろうと思った。

久しぶりに会って、話して、楽しくなかった訳ではないのだが。

私は結婚せず子もおらず育児もせず、だらだら生きてきたので、50歳過ぎて気付くのは馬鹿丸出し的に遅すぎたのだが、彼女たちはこの先もずっと母親なのだった。子育てが終わった後も生涯親であり、親業の記憶の層は厚い。いずれ親じゃなかった年月の方が短くなる。

何で今まで気付かなかったんだろう、と愕然とした。

彼女たちが親になった頃は、10年もすればまた遊んでくれるだろうと思っていた。そうはならなかったが、たまに会えば、一緒にいるのは楽しかった。

そしてコロナ禍もあけて、久々に会った後。距離を取ろう思っている。

母親同士の、共通の話題や苦労話は、私とは無縁の、聞くだけの話だ。それは以前からのことで、彼女たちにとって現在進行中のことで、話題になるのは当たり前で、気にならなかった。

それが50を過ぎて。子供に手が掛からなくなれば、話題になるのは過去のこと、回想や消化しきれてない鬱憤だったりする。

私がいなければ延々そういう話をしていられるだろうに、気を遣ってか別の話題にしてくれるのだが、再び親業の話に戻る……その繰り返しになって、結局聞くばかりで、あまり話さなかった。

話すのは苦手だし、上手くもない。

でも時々思う。誰も私の話を聞いてくれない。子供の頃から、何でだか話を聞いて欲しい人間ばっかり寄ってきて、いつも聞く側だ。

フリーターに愚痴を言う権利はない、と知人に言われたのは二十代の頃だったが。その流れで言えば、家族を作っての苦労をしてない私が、話す側になるのは、おこがましいですか。

不満はさておき。

数十年の付き合いが続いた、気の置けない仲間だったが。一緒にいると、所在がないのだった。彼女たちの話題についていけないし、入れないので、聞いているしかない。友達でない人々の中ではいつもの立場なのだが、疎外感が半端ないのだった。

彼女たちは生涯親だし、つれあいもいる/いた だし、いずれ成人した子供より、親の介護が切実な問題になるかもしれない。私には全てひとごとだ。

つまり。この先もずーっと「疎外感半端ない」が続くなら、お別れした方が良いというものだ。気を遣わせなくて済む。そもそも家族持ちの時間を削るのは遠慮がある。

家族持ちだって時には家族から離れて息抜きしたいかもと、頭では思っても。相手が友達だと「癒しアイテムじゃねーよ」と意地の悪いことを思うようになったので、ひととして詰む前に、やはりお別れした方がいいのだった。

多分拗ねてもいる。大人げない自分にどん引く。

すっからかんだーと思う。家族もいないし貯金もなく、定職にも就けず、お先真っ暗である。この上、友達のない晩年足してどーすんのと思うけれども。

聞き役でしかいられないなら、ひとり でいる。

フェアであることが大事だと思ってきた。友達なら、例えば3時間しゃべり続けられても平気だった。私が3時間しゃべる羽目に陥った場合には、聞いてくれるはずだから。

もうそういう状況にはならないと、ここ数年の付き合いで察しがつく。フェア云々を気に掛ける程、ナイーヴな年頃でもない。

違う生き方。違う関心事。ひとの数だけ人生があるのは当たり前だろと思ってきたが。私は近くにいる人ともすり合わせられない程、遠くへ来てしまったし、頑なで狭量だ。何より、もうひとの話は聞き飽きた。

ひととの縁を大切にしない人生だったと思う。

とはいえ。とうの昔に切れてしまった面々を思い浮かべても、再会したいと思う相手はいないのだった。向こうもそうだろう。

自分のことしか考えない、ひとりきりの人生。

それも悪くないんじゃないの、と思っている。癒しアイテムじゃねーし。

ひとりは時々つらいけど、フェアになる見込みのない関係の中に居場所を見つけようとするとか性に合わない、というか、ありえん。

いい友達だった。

感謝してる。