新しい職場は、毎朝ラジオ体操と唱和がある。
ラジオ体操は嫌いじゃないが。冷えきった倉庫に集められてラジオ体操ってどうよ、と思わざるを得ない。
唱和は、はっきり嫌いだ。毎朝唱えれば社是を体現した勤め人になる訳じゃなし。やらされる側は惰性である。やらせる側は、こういう奴を締めたいのかもしれんが、フリーターのおばさんには、この辺の思考はわからない。
過去の職場の朝礼で「最悪だ」と思ったのは。
朝礼後、当番の社員が「お話」をする職場だった。日常のふとした場面から得た教訓、のような話を2分くらいでする。パートは免除でよかったと心底思った。
最悪じゃなきゃいいってものじゃない。
まだ半月も通っていないが。ひとづかいの荒い職場である。
量をこなせる段階じゃないが、仕事の種類が多い。昨日はあれをやって今日はコレですか、コレが終わったら今度はそれ?という感じ。
1度聞いたらすぐ覚えてすぐ思い出せるような優秀さはカケラもないので、片っ端からメモを取っている。昼休みにも帰宅後にも、整理して清書して備えているのだけど、何もかもイヤになる程、毎晩書き足している。掃除もしてない。年賀状も全く書いてない。
昔は。派遣で働くというのは、単純作業に従事する労働力の提供が多かったが。そういうのんきな時代は、終わったらしい。
定職に就いたことのない50過ぎの失業者のおばさんでいると、人手不足はひとごとになる。労働者として価値がないので。
50過ぎのおばさんを雇うような職場に就業すると。人手不足、人材不足を目の当たりにすることになる。
前職場も、前々職場も、そうだったが。仕事が回らなくなる寸前の状況で、少ない人材を社内で奪い合う。人材が尽きた職場は人手をも奪い合う。非正規雇用のおばさんは目を丸くしてそれを見てる。主力が休むと即詰むように見えますが、ここ家族経営の町工場以下ですか、とか。
リスク管理とか適材適所とかは、雲の上の話とか概念とかであって、少なくとも私の目の前には無い。おそらく今後も。
いつの間にこんなことになっちゃったんだろーと思えば、これが失われた30年というやつか、と思い至るが。
もう失われた30年じゃなくて、不可逆点を過ぎた下り坂だろ。
工場でひと月も働けば、メイドインジャパンは虚構だと気付くし。
ダイハツの不祥事には驚きもしない。