2024年3月26日

雨漏りの音を聞いていると、悲しくなってくる。

どこからか建材を伝ってくる雨水が、築40年余の建て売り住宅の薄い天井板に落ちて、屋根裏に反響する。

私は甲斐性のない低所得者なので、買ってもいない宝くじが当たらない限り、雨漏りの音を聞き続けなければならない。悲しくもなる。

親の生前、外壁は2回塗った。

だから雨漏りだけで済んでいるのかもしれないし。

2回目の塗装に不備があるから、北側から風雨があたる時だけ雨漏りするのかもしれない。

親の生前も、私だけになってからも、修理その他に何度か立ち会ったが。

来てもらった業者さんから「こんなの見たことない」「これ防水じゃないです」等、同業他社の所業にあきれる声を、聞く羽目になった。

後になって「やられた」と気付く時もあった。

トイレを買い換えた時も。見積書を見ると、伝えていた製品に何気に英字を付け足した、上ランクのウォッシュレットにされていたので、指摘して書き直させたのだった。

過疎への下り坂を歩む、昭和の乱開発期の分譲住宅多数、という非リッチな地域で商売を続けていくのは大変なのだろうが。「貧すれば鈍する」を地でいってるんかい。

あるいは。敷地40坪未満の、こぢんまりした家の住人かつ女だから、舐められてるのかもしれない。

今のところ、雨漏りは室内に水漏れしてくる程、深刻ではないけれど。

床を踏み抜くとか、排水口が詰まるとか、緊急事態が発生する可能性はある。

そうなったら。ひとりで対応して、業者を選んで、支払いをしてーーと思うと。

雨漏りの音に悲しくなってくるどころじゃない。暗澹たる心境になる。