2024年11月15日(金)

ごみを捨てに表へ出ると、電線にシジュウカラが3羽いて、おしゃべりをしている。

お向かいの庭木に降りてこないかなーとしばらく待ったけど、飛び去ってしまった。

 

久々に自然公園へウォーキングに。野鳥の声はしても姿は見えない。

「見たいなー」と思うけど。礼儀知らずの長玉勢の前に現れてやることはない、いいんじゃない、と思える。

 

萩はすっかり終わっていた。モミジの紅葉は、陽あたりのよい場所だけ。

 

ようやく浮上できて、ぱしぱしと片付けを進めて、洗車もしてきた。

一昨日「12月末で辞めよう」と思い切ったら随分楽になった。

楽になってみると、職場の同僚のことなど、どうでもよくなる。勝手に騒いで愚痴ってろ。

 

2024年11月11日(月)

土曜日、出勤途中にツバメの群れを見かけた。

10/23に見かけてからほぼ連日、ツバメ達はいた。第一陣が最多で、ここ3日程は姿がなかった。

「まだいたの、もう11月だよ」と思う。暖かいから虫がいて、食料には困らないのだろうけど。

 

先日、庭の金木犀の葉先に蝉の抜け殻を2つ見た。

金木犀の花が咲いた頃には無かった。異様な暖かさに過って出てきた蝉の運命を思うと愕然とする。

 

鬱々として何も手につかない。

洗濯はぎりぎりでどうにか間に合わせているけど、掃除はひと月位してない。先週は起きられなくてゴミ捨てができなかった。

小さな花苗を並べて庭に彩りを添えたのも、何やってんだかなぁと思っていた。

少し浮いたかなとも思うけど、見渡すと沈む要因しか目に付かない。

 

 

2024年10月23日(水)

昨朝の出勤途中。ツバメが電線に鈴なりになっているのを見かけた。
偶々赤信号で停まったので見上げていると、交差点の向こうの電線にもツバメがびっしり。二百羽以上はいた。残念ながら見飽きるまで見上げていることはできなかった。


行く手の空中にも、ツバメの姿はあった。見るからに「この辺じゃなかった?」「えーどこだっけ」と右往左往していた。

不思議だ。今朝、あの場所。どうやって集まる?

 

現職場は土曜出勤があるので、平日に休みがある。
雨天の予報だったが、晴れたので、買い物ついでに園芸店に寄った。多分二年ぶりくらいに。シクラメンビオラを少々買った。


転居を真剣に考えていて、庭の植物は増やさないことにしていたのだった。今夏は酷暑で何鉢か枯れた。根切り虫にもやられた。
10月になってようやく咲き始めたアサガオが終わってしまうと、さすがの私も庭の寂しさが気になった。


母がガーデニング好きで「車を出して」とよくねだられたのだった。
植えて枯れてまた買っての際限のなさにうんざりしていたのだった。母の死後は家の裏においやられていたプランターを随分処分した。

陶製の鉢に土を入れて、シクラメンビオラを植える。ホームセンターの苗より葉がしっかりしていて、丈夫に育ってくれそう。

庭を華やかにしていたいという性分ではないし、花苗に次々出費できるほど、裕福でもない。

現職場も長く勤務できるかどうかわからないが、寂しすぎる庭に慰めになる花鉢を何個か置こうというくらいの心境にはなっている。それと掃き出し窓の下に障害物として鉢植えが並んでいると防犯になる気がする。


庭仕事をしていたら、お向かいの塀に、シジュウカラが跳ね回っているのを見た。艶々して相変わらず可憐だった。

路傍の原付

街角で真新しい原付を見かけると「最後の原付を買ったのかな」と思う。

2025年11月からの新しい排ガス規制をクリアできる原付の製造は、不採算事業になるとかで。

50ccの原付バイクは。2025年10月をもって製造終了となる。

一昨年頃から、世話になってきたバイク屋の店主と、この件を何度か話してはきた。

結論はいつも同じだった。今のところ問題なくても長距離を走っているので、急にガタがくることは有り得る、入手できるうちに買っておいた方がいい、と。

尤もなご意見なのだが、踏ん切りがつかなかったのは。現在乗っている原付、ホンダタクトベーシックが、私の約30年の原付歴で性能的には一番の「大あたり」であり、複雑な愛憎があり、何より私の貧乏性、そして実際に貧乏だからだった。

購入時は。スズキの原付から10数年ぶりのホンダへの乗り換えだった。

そしてすぐ後悔した。

ホンダの給油手順は。足下の蓋を開けると給油口、給油口の鍵は原付のキーなので、キーを外して差し込んで回す。

シートを上げれば給油口というスズキの手軽さとは大違い。

給油後、給油口をはめ直す位置が少しでもずれているとキーが回らない。蓋に砂利が挟まっていたりすると蓋が開かない。

シート下のメットインのスペースもハンドル下の物入れも、スズキより狭い。

買って早々、次はスズキを買うと決めていた。2015年のことだった。

そして〈次〉にタイムリミットがあるとわかった時。メーター3周目、3万キロ超走ってそれを感じさせない程、快調に走り続ける原付を捨てる決断ができなかった。

近い将来、この家を処分すると漠然と計画している。そうなると移動手段はほぼ原付という生活は続かないかもしれない。それなのに新品の原付を買うのか、という迷いもあった。

逡巡するうちに。スズキは50cc原付の製造期限前に撤退し、アドレスV50の新車を購入する機会を永久に逸した。

そして遂に2025年10月になった。

オイル交換で出向いたバイク屋で。ホンダの50cc原付の在庫に「売約済」の紙が貼られているのを見ると、心が揺らぐ。正直焦る。

あと数年はここで地道に働いて資金を貯めるしかないのだから、通勤手段として「最後の原付」を確保する方が現実的ではないのか。

110cc超の車体で50cc程度のパワーに造られた原付に、原付免許で乗れることにはなっているが。50ccの原付とは別物だろう。

そもそもなんでこんな目に遭わなきゃならないんだ。

50cc超のビッグスクーターやバイクを扱えない、小柄で非力な人間はこの先どうすればいいんだよ。

ーーという慨嘆は。当事者以外には知ったことではない。

 

50ccの原付が滅ぶ、という話を聞いてから。原付って私みたいだ、と思う。

道路の端を慎ましく走っているつもりで。車から見れば邪魔だろうけど、車ほど危険じゃないし排ガスも少ないし、たいてい端っこ走ってるし、そんなに迷惑かけてないよね?なはずが。

いつの間にやら、少数派になり、時代遅れになり、迷惑って程でもないだろと思っていたら、ダメ出しされるお荷物と化していて、途方に暮れる。将来は先細りで真っ暗だ。

厳しい現実を見据えて、長期的な視点を持って、よく考えるべきだったのに。場当たり的で、気付いた時にはどうにもならなくなっている私の人生とも、原付をめぐる現況が重なっているように思える。

原付で気軽に出掛ける生活ができなくなる。身軽に転職しようとしても雇ってもらえなくなる。

今までのような生き方はできなくなる。

とはいえ。

10年苦楽を共にしてきた(始めから気に食わなかったが近年ようやく愛着が湧いてきた)どこも悪くない愛車を処分する手続きをしてバイク屋に置き去りにし、スズキの原付で颯爽と走り去る自分は、想像がつかない。

それが正しい選択だったのだろうが。今更、でもある。

10年後も原付乗りでいたければ、新車を購入するべきだが。

10年後もこの家から近隣の職場へ通勤している生活は望んでいない。

 

時折。とうに製造終了になった古い原付を見かけて「まだ走ってるんだ」と、半ば驚き半ば呆れることがある。

あれらの原付も「大あたり」の原付で、まだ走れているのだろうか。私の原付は、ああいう〈恐竜〉の類になれるだろうかーー。

 

2025年10月。

数多の50ccの原付乗りが、嘆息し、迷い、決断し、50cc原付が滅びつつある世界で、今日も路肩を走っている。

私もその1人。

 

 

 

 

 

 

2024年10月18日(金)

金木犀の香りが漂っている。

近隣の稲刈りは七割方、終わっている。

秋の空の雲は見飽きないなーと思う。

休耕田その他でコスモスが揺れている。

ハナミズキの葉が赤い。お上品な樹形が好きじゃないのだけど、冬に、枝先の実を何とか食べようと必死なカラスの姿は、見たい。

季節の移ろいは、地方に住んでいると、行楽地へ行かなくても通勤路で感じられるので、ありがたいのだが。

八月に現職場で働き始めてから、遊びに出掛けたのは一度しかない。

物流倉庫には盆休みもなかったし、今月の三連休も二日は出勤していた。

もうイヤ、という忙しさ。

文章を書く気になれない。掃除は隔週くらいで出来ても、片付けに至らない。

観葉植物を増やしてしまった。

チョコレートとヨーグルトをつい毎日食べてしまう。

テレビも観てない。「ねほりんぱほりん」の録画も観てない。秋ドラマも何も観てない。大河ドラマは何となく観てるが、見逃しても気にならない。

野木氏の新作ドラマは観ないと決めた。

石炭ではないが。後にそうと判った斜陽産業に、複数人で携わってしまい、家族や次世代の者を巻き添えにした、母方の一族のことを想起してしまう。

夢を追ったとか、逆境を家族で支えあうとか、そういうのは、ない。

伝え聞くのは。景気が良い時も左前になった後も、手近にいる血縁者を利用して、食うか食われるかという話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年9月29日(日)

ここ半月程、近所でシジュウカラの声が聞こえる。

1度だけ、飛び去る後ろ姿を見られただけで、ちっとも姿を捉えられないので。

シジュウカラが見たい、朝だし曇りだし、と自然公園へ向かった。

秋めいてきてから自然公園へ行くのは初めてだった。

遊歩道には青いドングリが落ちている。萩がちらほら咲いている。彼岸花もあちこちで咲いているが、百日紅の花が枝先に残っている。

30分程歩いたが、シジュウカラは見られなかった。

ヒヨドリキジバトの声しか聞こえない。長玉勢もカメラを構えもせず所在なさそうにしている。

5、6年前。コロナ禍前で失業中で冬で、健康のためになると思い通って歩いていた頃、野鳥を1羽も見ずに帰ることはなかった。

みんな何処かへ行ってしまった。「Mountain Top」の訳詞でもある。

みんな何処かへ行ってしまった、それがしっくりくる。よくそう思うようになった、今日この頃。

 

8月から就業した職場は、厳しい肉体労働なので、ブログのことが意識に上らない程、疲れる。

帰宅後、何もする気がしない。休日は洗濯と買い物、それ以外は何もやりたくない。

庭の雑草が生い茂っているので虫が住みついている。夜は虫の音に癒される。近所の人々もそうだといいのだけど。

 

酷暑だったし残暑は厳しいし、仕事はハードだし、食えないし眠れない。

しかも部署を異動になった。

頑張ったんだけどな、と思う。でも期待されていた働きはできていなかった、ということだ。

自分が使えない奴、ぽんこつのおばさんだと自覚があっても落ち込む。

異動になってショックを受けている、と伝える相手もいない。

 

一緒に異動になった就業して半月程の新人は、異動4日目には出勤してこなかった。

ウエに対しては。ひとが逃げても気にしないっつう、その態度やめなよ、と思うが。社風というか、物流系あるあるに過ぎないのだろう。

ーーということは、私が辞めても気にしないよね、と大人げないことをつい考える。雇ってもらえるだけで有難い立場のおばさんなのを、もう忘れている。

 

大変じゃない仕事は無い。非正規雇用でも。

ただ。生活費を稼ぐために人生を費やして当然だとは思わない。

時給で働いて、賞与退職金なし昇給も期待できないワーキングプアで、生きのびる為に働き続けるのが当たり前だからこそ、使い潰し上等の職場に骨を埋めかねない程、誠実に勤続するなんてのは、間違ってる。

 

 

 

2024年8月25日

久々に自然公園へ行った。

半月板がよくないと分かってウォーキングをやめたので。向かいながら「こんなに遠かったかな」と思った。

百日紅の花は盛りを過ぎて。ドングリの青い小さな実が付いていて。蝉時雨はクマゼミよりツクツクボウシが優勢で。

酷暑で高温が続いているのに。ツクツクボウシは残暑に入ったと、どうして知っているのだろう。

 

今月から就業した職場は。

重量物は持たないと騙してまでひとを集めるところは、一昨年の職場と似ていて。

ひとが辞めていくのは当たり前と平然と構えているところは、昨年の職場と似ている。

できれば長く勤めたいと思いながら就業して、長く続けるのは無理だと思う私は、どこへ行っても同じで、いやになる。

 

疲れる。

女性は見渡す限り堅気の主婦という状況に。

自分の能力の無さと物覚えの悪さに。コミュ力の低さに。

雇用側への不信感に。

こんなの続けられる訳がないという重量物運びに。

私そんなに使い勝手よさそうに見えますか結句被搾取系ですか、という自分の不甲斐なさに。