工場勤めに嫌気がさして、リゾートバイトの派遣会社に登録し、数ヶ月の契約期間でホテル等を転々としていた時期があった。
30代前半だった。リーマンショック前だが不景気、という時代。「インバウンド」という言葉はまだなかった。
南信州の宿泊施設で、晩秋から正月過ぎまでの約3ヶ月を過ごした時のこと。
りんごの収穫期に、職場に大量のりんごが出現した。45ℓ袋二つ分程だったように思う。
正社員の1人が持ち込んだもので、私のような短期バイトも、おすそ分けにあずかれた。
いわゆる「つるわれりんご」で、芯の近くにぱっくり割れ目が入っていて、出荷できないりんごとのこと。
どのりんごも、見たことがない程に蜜がたっぷり入っていて、新鮮で甘くて、美味だった。
地元のパートの方と外でごはんを食べた際、大量のつるわれりんごが現れる事情を聞いた。
持ち込み主の正社員の曾祖父がりんご農園を始め、祖父が拡張して名を成し、そして下手を打ち、農園は人手に渡った。彼女の両親は今もその農園で働いているので、つるわれりんごは彼女の元へめぐってくるのだそうだ。
彼女は時々お客様に声を掛けられていたし、私も「あの子○○さんのお孫さんだろ」とお客様に言われたことがあった。
よく働く真面目な子だったけど、いつもつまらなさそうにしていた印象がある。
一時羽振りが良く、そして没落したことが知れ渡った地元で就職し、そしてその就職先も左前なのは、派遣バイトの目にも明らかだった。今思えば、彼女は行き詰まり感のようなものを感じていたのかもしれない。
うっとりする程、蜜の入ったつるわれりんごは、確か二、三度いただく機会があった。
蜜の入ったりんごはつるわれしやすい、本当においしいのは、こういうりんごなのだと聞いた。納得するしかないおいしさだった。そして市場に出せない品だというのは、笑うしかない。
生産地でしか食べられないもの、という訳だ。
あれ以来、十数年経った今も、りんごは長野産贔屓でいる。シナノスイートは甘すぎて好みではないけれど、硬めでさわやかな秋映は、見かけるとつい買ってしまう。青森産を買うのは、長野産の季節が終わってから。
南信州を再訪する機会があったとしても、松川町まで行ったとしても、あのつるわれりんごは、〈客〉では食べられないのだろう。
最初で最後の、幻のりんごだったのかと思うと、少し寂しい。