年賀状

買い物に行くと、園芸コーナーにポインセチアシクラメン、葉牡丹。もうそんな季節。2022年も終わり。

年賀状はがきも売っている。

年賀状は毎年数枚出す。ひと言添えるだけ、近況を書くので要余白、相手によって使い分ける。既製品を2、3パックで足りる。

文面も考慮する。「昨年はお世話になりました」系は買わない。会ってすらいないから。干支の絵柄も見る。つがいとか家族じゃなく単数の。または干支の漢字のみとか。独り者なので。

こうして書いてみると、案外こだわっている。受け取る側は、気付いているだろうか。

家族写真の年賀状とか全然気にならない。「でかくなって」「そっくり……」とか感慨にふける。元同級生のお子達は、もうほとんどが年賀状を卒業していった。

昔は。家族写真の年賀状に「傷つく」「配慮が足りない」等の意見を不思議に思っていた。ひとの数だけ人生がある、気にしても仕方ないのに、と。

アラフォー過ぎで考えを変えた。私は夫も子供も欲しいと願ったことがないから、欲しかったのにかなわなかった人の気持ちがわからないだけだ。いなかったので失ったこともない。

年賀状を受け取るのは嬉しい。年賀状のやりとりしかない相手でも、例年通り年賀状をくれたからには元気なんだと安堵できる。もう健康を気遣う年齢。コロナ禍では尚更。自分がまだ見限られていないと確認できるからでもある?

来なかったら出すのをやめようと思っている相手もいる。随分会ってないし消息も聞こえてこないが年賀状だけは来る、という古い知人。年賀状が絶えたら終わり。向こうがこちらをどう思っているか、もう想像できない。それくらい疎遠。